2026.1.30
「理論」構成要素に影響を与えるクラブ
2026.1.30
「理論」構成要素に影響を与えるクラブ
(名著)
本日、息子はバレエ。私は大学の体育会部長(顧問)会議。35団体の部長・副部長が一堂に会し、その後は監督・コーチを交えて懇親会(懇親会は私用のため欠席)。2025年度、男子ラクロス部は関東大会の準決勝、決勝で早慶に勝ち、優勝。報告を間近で聞いてしまうと、ゴルフ部も…と会議中に考えてしまう。
ゴルフ部所属のゼミ生から頼まれ、一昨年からゴルフ部に携わることになって、それも前々から考えていたことでもあったので、体系的にゴルフを学ぼうとTPI(Titlist Performance Institute)やUSKidsの教育プログラムを受講してきました。これが正解というわけではないですけど、教え方も含めて学びたいなと思って(注: ただ今後も決して教えません。現場は監督・コーチに全て任せる)。
昨日の投稿で、「理論」という言葉を持ち出しました。家だけでなくコースでも地味練する、という我々親子の方針は、後述するお方の "試合をしながらせっせと貯金(p.24)" を私なりに取り込んだもので、日々の親子ラウンドに活かしております。
「理論」。20代の時に大学院で「理論」とは何かを叩き込まれたので、ゴルフの世界においても「理論」という言葉に対して敏感に反応してしまう自分がいます。「理論」と「論理」。大学院に入って1年目。とある研究分野で世界的な業績を残され、今もなお世界で読み継がれている本を出された先生が退官される最終年度の授業に参加することができました。10名ほどの院生たち。指定された輪読書は先生のご著書ではなく、Edith Penrose先生が書かれた "The Theory of the Growth of the Firm"。「Theory」という言葉。一方、退官される先生が書かれた日本語版のタイトルには「論理」という言葉を使われておられ、その理由を研究室で聞いて、そんなの自分で考えろ、と厳しく指摘されて以降、考え続けてきた。なぜあえて「理論」という言葉で表現なさらないのか。先生は文献でご説明されておられるわけですけど、私の理解が及ばず直接一対一で教えてもらおうと。甘かった。
ゴルフは2020年から息子と本格的に始めましたが、ゴルフ中継を見るのはそれ以前から好きでして、ゴルフをしていないのに、雑誌を見たり関連書籍を読んでいました。ゴルフ雑誌を見始めた二十数年前、「理論」という言葉が紙面を賑わしていた。それは程度の差はあれ今に至るまで変わらない。たくさんの「理論」が紹介され、私はゴルフをしていないので、当初、どれも正解のように感じてしまった。ただ、なかでも、これは!と思うものに出会うことがある。
ゴルフを始めるにあたって、これまでの文献の再読に加えて、英語の文献もあわせて片っ端から取り寄せては目を通す。繰り返しになりますけど、まだこの段階でもゴルフをしていないので、どれも正解のように見えてしまう。好み以外、判断基準が自分の中にない。ただ不思議なものでして、ド素人であっても、これは大事なところをついている、と確信させる考えがある。自分がゴルフをしていないからこそ、理詰めでその説明を理解しようとしているから感じられるものがありそう。部分だけに触れたら、お互い違うことを言っているように見える "かも" しれないし、間違っているように見える "かも" しれないが、その考えだけに限定すると全体で見れば筋が通っている。異なる人が異なることを言っていたとしても、全体として付き合わせれば、ある意味矛盾していないことが稀にある。
そして私はゴルフの世界に精通している知人たちに確認する。私が見逃していた素晴らしい考えもあったけど、これは!と思ったものは間違っていなかった。2つの「理論」。シンプルという表現で言えるものではなく、むしろ体系だっていて細かいところは私如きだと理解が及ばないが、素人を納得させるくらいの幹の存在がこちらに伝わってくる。長いゴルフの歴史を俯瞰してそこから抽出して出来上がるものと(注: 私の独断と偏見になるがウイスキー)、ゴルフ以外の世界をも俯瞰して作られたもの(注: 私の独断と偏見になるがワイン)。それらは他者の身体に伝えることを通じてさらに磨き上げられていく。部分が繋がっている。部分だけ切り取って是非を問うても意味が薄い。
そのお一人が今教えを乞うている先生。で、もうお一人は、後藤修氏。後藤氏の2つのご著書、特に『奇跡の300ヤード打法 爆飛びゴルフ』を読んで以降、雑誌に掲載された昔の記事を可能な限り集めて読み、ビデオをまわし、ハマりにハマった。ご著書は通しで5,6回は読み直している。当時ゴルフをしておらず細かいところは全くわからなかったけど、細部の裏に全体像が明確にあることが私如きでも感じられた。読み物として群を抜いていた。語りの中に魂のようなものをそこに見た。
そのほか、後藤氏にまつわるエピソードや後藤塾ご出身の方々が書かれた本やブログを探索する。そして親子ゴルフ生活が本格的に始動する。技術論を語るレベルに私は全くおりませんので、ここでは2つだけ。まずひとつは、道具について。しかもジュニアの親に対してアドバイスをされておられる*1。これは貴重です。
"例えば、みなさんの中には、子どもにゴルフをやらせている人がいると思う。そのとき、安易に自分のお古の大人用クラブを与え、「これが振れるようになったら一人前だよ」という教え方をしていたとしたら、それはその子どもの未来を確実に奪っている。自分の体力・筋力以上に重く長いクラブを与えられ、そのクラブを振り回そうとしたら、確実に体を暴れさせて打つ変則スウィンググセがついてしまう。本来、持っていたはずの素質が破壊されてしまう(pp.212-213)"
怪我というよりもクセ。本書全体で語られる内容だが、この「変則」はジュニアに限られず、ジュニア期を脱する際にも、年齢を重ねた後にもつきまとう課題そのものである。上述のご説明のすぐ後にTiger Woodsプロのお話になり、ジュニア時代のコーチの考えに触れた上で次のように説明しておられる。
"…軽くて短いクラブでゴルフを覚えさせたのだ。実に賢明だったと思う。それが、タイガーのあの凄まじいスウィングスピードを育ててくれたのだ。もし、彼が長く重いクラブで練習していたら、いかに素質に恵まれていたとしても、あのダウンの「タメ」から一気に「切れ」のフィニッシュに持っていく凄まじさは絶対に身につけられなかった(p.213)”
スピード、そしてタメから切れのフィニッシュ。重く長いクラブを小さい頃から振り回していたら逆のことを強化することになる。ちなみに、硬さについては、このジュニアの親に対するアドバイスの文脈では触れておられませんが、練習器具において成人男性だと硬めということになります。クラブのシャフトについては、捻じれ、ほぼなし。
そして、ふたつめです。怪我について。歳を重ねてから黄金期を迎えるゴルファー。
"本来、健康にいいはずのゴルフをしていて、故障持ちのプロが多い原因は、彼らがみな、若さとか素質とかの貯金を使い果たすスウィングをしているからだ(p.24)"
後藤氏の指導のもと40歳からも勝ちまくったジャンボ尾崎プロ。錬正館(練正館)において後藤氏とともにスランプを乗り越えた "父親に純粋培養されたゴルフだけやってきた(p.18)" 中嶋常幸プロ。レジェンドお二人の復活。
後藤修氏とジャンボ尾崎プロ。ジュニアが使う道具についてお二人の考えは重なるところがある。後藤氏はアメリカツアーで、そして世界のメジャー大会で日本人が活躍されることを願っておられた。その後藤氏のジュニアの親に対するご助言。
いっとき私はそれを棚にあげ、自ら考えて息子に授けた道具。一瞬で元に戻ってこれましたけど、悔やまれてならない。息子には影響ゼロに近いと思うが、やってみないと分からないと判断してご助言を棚にあげた私の姿勢そのものが悔やまれる*2。
*1 後藤修 (2000)『奇跡の300ヤード打法 爆飛びゴルフ』小学館. Tiger Woodsプロに続いてイチロー氏を取り上げ、後藤氏がイチロー氏のお父様と雑誌で対談した際の話を紹介している。"…やはり、いちばん苦労したのは、できるだけ短く軽く使い易いバットを息子のために捜すことだったと証言してくれた(pp.213-214)"。
*2 後藤修氏の文献を読んでいると、必ず思い浮かぶ友人が私にはいる。ご子息が幼少期からゴルフをしていた。我が息子と同様、小学生に上がる前から。プロ、そしてその先を目指していた。その友人は後藤修氏の大ファン。勉強会にも参加されていた。中学生になり、ご子息は競技に出なくなってしまった。もちろん後藤氏の著作も何度も読まれていて、なぜ息子が手にするクラブを後藤先生のご意見通りにしなかったのか、嘆いておられた。と同時に、周りにも後藤先生のファンで子どもにその技術的な教えをベースに日頃鍛錬されている方々が複数いたと語っていた。当時、リアルタイムでジャンボ尾崎プロや中嶋常幸プロを指導されていた後藤氏の書き物に触れていた親御さんたちは、特にそういうスタイルで子どもにゴルフをさせていたと察する。今でもそう感じる風景に出くわす。ただ公に出ていない考えや取り組み、トレーニングがあまりにも多く、さらに、それらに対する深い全体理解と他者に染み込ませた経験をしていないと部分だけの指導になってしまい、後藤氏自ら指摘されておられるが、害が多い。私は後藤氏の生き様やゴルフに対する姿勢のようなものを著作や映像から学び、それを息子に活かしてゴルフをしてきた。技術論については私だと理解が及んでいないし、あり得ないが仮に理解したとしても息子に伝えようとは思わない。他者の身体に浸透させようする経験すらないので。浸透した、ではなく。