2024.5.24
脱「練習の達人」
2024.5.24
脱「練習の達人」
(芸術から学ぶ)
昨年11月以来、息子は試合に参加しておりません。試合に参加すると私がプレーできない、というのがその大きな理由です。息子には申し訳ないですけども。加えて、後付けかもしませんが、息子の技量を高める点においてもデメリットが多いのではと思ったり*1。試合は緊張感があるし、本人も楽しいと言っているので、親の都合でその楽しみを奪っているのではと最近感じつつあります。
金曜日は基本、バレエの日でして、外でゴルフの練習を全くしません。親子共々憧れるバレエダンサー、熊川哲也さん。本ウェブサイトで紹介したご著書『メイド・イン・ロンドン』(文藝春秋, 1998)。日本人ダンサーが踊れる場を増やしていきたいという想いに触れられ、その理由を次のように説明されておられます。
「なぜなら、“ダンサーは舞台に数多く立つことでしか磨かれない” からだ。...ダンサーは、実際の舞台を数多く踏むことで、絶対の自信と実力がついてくる。逆に、それ以外に方法はない。“練習の達人” がいくらいても、プロとしての全体の水準は上がっていかないのは当たり前のことだ(p.10)」
表現形態の違いはあれ、ゴルフの話に置き換えると、鳥カゴやレンジ、コースでの「練習の達人」になったところで、「絶対の自信と実力」は得られない。練習を重ねれば自信も実力もつくけど、 “絶対の” とはならない。メンタルスポーツとも一般的には称されるゴルフ。自信がなければ試合で結果は出づらい。練習で出来ていることが試合で表現できない。それも実力のうち。過去の我々親子のように、練習ラウンドで疲労していた、まだクラブに慣れていない、体調が悪くて、初めてのコースだから、などと言い訳を続けるしかなくなってしまう。試合で得られるものは計り知れない、とも。ただ、参加する試合の数が多すぎて、それが試合だという感覚がなくなってしまうのも、どうなのかなと。
“練習の達人”は沢山いる。プロとして高いレベルに到達するためには、実際の舞台が必要。自信ではなく、「絶対の実力」という点に絞ると、日々の練習の向き合い方(かた)が大事かと。熊川さんは中学生の時にコンクールで負けたあと(9位)、練習量を急激に増やしたことに触れながら、「後には稽古はあくまでも稽古であることを理解するようになったが、当時の僕にとっては、レッスンもまた全力を出すべき本番だった(p.57)」と振り返っておられます。天性のものに加えて、このジュニア時代の練習に対する姿勢が、当時のご本人の勘違いであったにせよ、のちの飛躍を支えたのではないかと感じざるを得ません。
*1 こちらも本ウェブサイトで取り上げました、試合に出るデメリットというか、出る必要がないというお話し。プロを目指すという前提での話にはなりますが。