2025.7.9
試合と日常ラウンドの差はどこに?
2025.7.9
試合と日常ラウンドの差はどこに?
(この地、初ホールは左に巻く)
世界ジュニアの裏側で汗を流しております。本日のラウンドはダイナミックゴルフ成田。初ラウンド。12ホールのミドルコース(平日は11ホール)。300ヤード近いホールや250ヤードを越えるホールがあり、パー3コースともショートコースとも呼べない特徴のある練習場併設のコースです。
今日も手引きカートを使わず、息子のキャディバッグに私のクラブをギュウギュウに詰め込んで担ぎ。暑さとアップダウンで2周が限界でした。一昨日訪れたダイナミックゴルフ千葉よりも距離があり、歩きごたえがある。ご飯は千葉と同じ名前の「かぼちゃハウス」で。冷たい肉うどんと焼きたてパン。美味すぎる。特にパンについては久しぶりかも、こんな美味しいのは。2周目を終えたあとに氷をもらいクールダウン。火照りまくった親子を見かねていただけたのかな。ありがたいです。
美浦の大叩きパー3の反省があってそれ以降のラウンドとUSKids European Championship ではピンをデッドに狙わないマネジメント重視(球が散るので守備範囲が広すぎてマネジメントどころではないかも)のラウンドを重ねてきました。ただEuropean Championship が終わると、待ってました!とばかりにピンをデッドに狙うゴルフに一瞬で戻ってしまった。私から、「もっと考えて打て」と説教してもいいのですが、躊躇してしまっている自分がいます。
その理由のひとつと関わるのが、イップス。本人の気持ち良さに蓋をして、そこまで精度や再現性のないジュニア低年齢期に、さらに見た目のスイングの美しさを求めていたら動作がぎこちなくなりそうだし、そもそも低年齢にガツっと磨けそうな感覚が悪化するんじゃないかと思いまして。親が番手選ぶとか、こう打てとか、前もってミスを避けるために意思決定を代替わりするのもイップスを発症させてしまうのではないかと。すぐに生じるのではなく、数年経った後に。自分で何もかも決め始めるようになってから出てくるイップス。累積練習量がある段階を超えた頃に訪れるイップス*1。
手前に刻むとか、アプローチしやすい方に少し意識を向けて打つとか、絶対にしない。とにかくバーディだけを狙う。要するに、息子本人の意思に全任せでラウンドを重ねています。そっちの方が楽しいし、多少の言い合いはありますが親子バトルが鳴りを潜めます。ただ本人はアドレスやグリップ、テンポリズムを意識して丁寧なゴルフは心がけています。勝ちたい試合が目の前に控えているとこうはなりづらい我々親子。
本日のラウンドも、暑さを除けば、ノンストレス・ラウンド。息子のリズムで、そしてスタイルを貫いて回れた、はず。スコアを気にしていないし、相手が私ですから。
*1 澤宮優(2018), 『イップス:魔病を乗り越えたアスリートたち』, KADOKAWA(新書版, 2021年) 本書によると、イップスが生じる背景に「反復練習」がある。となると、幼少期から何も考えずに反復練習する負の側面が際立つと私は思う。TPIが反復練習以外の要素を日々の練習に取り入れることを強調するのも、おそらくイップスの研究が根拠にある。イップスとまでいかなくても、今までのようにスイングできない、ラウンドできない、という現象の根幹に反復練習がある。ゴルフにおいては、コーチ(親御さんや身近な人が指導する場合を含む)という第3者の存在が大きい。「自分のリズム、スタイルをシンプルに貫くことの重要性」「自分のリズムを作ることが(注:イップス、ジストニア)克服の一つの方法(新書p.255)」と本書が結論づけるなら、不要な「情報の遮断」をするのは本人だけでは限界があるはず。親御さんと二人三脚でトップオブトップに到達したゴルファーさんは、親御さんがフィルターとして&良き対話相手としてこの情報の遮断がうまく機能した面もあるのでは。子供の頃から試合にたくさん出ることの負の側面を強いてあげると、「ゴルフイップスの低年齢化(新書p.215)」と無縁ではない。一度経験して立ち直ることができればもう発症しないと言い切れない。上達するために避けられない反復練習。親子でゴルフを始めた頃に本書の単行本版を読んだ当時の感想は、他の要素を足すというより、反復練習それ自体を工夫しないと取り返しのつかないことになる、というもの。ここまで書いてこう言ったら身も蓋もないが、イップスの定義、その本質が今なお掴めておりません。
(名物ホール、富士山)