2026.6.12
原因と結果としての形
2026.6.12
原因と結果としての形
(再現性よりも大事なもの)
先日の投稿に対して、温かい励ましのお言葉とご助言、コメントいただきありがとうございます。
データの取り方と分析の方法が洗練されてきたので新しさを一瞬感じてしまう見解に出会すわけですが、その多くは大昔から言われてきたことでして、たとえば形に結びつくものを追求するのはゴルフをしていれば暗黙的に了解していることだと私は思います。わざわざ言わなくて分かってるよ、息子ですら。語彙がないだけで。理解じゃなくて実践に重きを置いているので。実践を通じた理解。理解が先ではない。形そのものではなく、形づくるものの再現性追求。言葉の表現の仕方の問題というか。分析的にあえて切り込まないというか。追求のスタイルが違うというか。
再現性。他のジャンルではどう捉えているのだろう。本日、息子はバレエの日。ママが参観。送られてきた動画を見て思うのは、毎回動きが同じではないというか… 通常のレッスンではなく発表会だったので日頃の動きをおそらく再現するわけですが、相手ありきのことなのでゴルフとは違い、自分のタイミングで同じ形を表現するという感じではない(注: まだ息子がそのレベルに達していないだけか)。芸術の世界において考えづらいけど、いち個人として完璧な再現性が求められると仮定して、それが同じ形を意味しているとは思えない。素人なので的外れな感想かなと思います。ゴルフは実践者ですけど、バレエに関して私は見るだけ。素人だからこそ、知らない世界だからこそ、形よりも大事なものがそこにあるんじゃないかなと思ってしまう。
先ほど、ゴルフとは違い、と言ったもののゴルフは自分のタイミングで動作を開始できるけど、状況は毎回違う。ライ、風、広がる景色。そしてラウンドだとその目の前のショットに至るまでその日、いやその週、いやそれまでどんなショットをしてきたのかで、身体的状態も立たされた状況も意識も違う。形を原因として捉えるのは如何なものかと批判的に捉える人は多いけれど、そこで言う形って全体それとも部分? 弾道を結果としたらそこに一番近い原因は何? 形も大事だけど、それを促すものを理解して身体動作に落とし込む? いや理解だけに徹する?
まずは正解に近いとされる、もしくは、そのゴルファーが理想だと思う形、素敵!と思った形を求めてまずは真似をする。モノマネ。でも身体的な違いやその他条件があって真似しようともアレンジされてしまう。形に自分らしさが生まれる。そして、試行錯誤した上で、ある時点で表現された形が「これだ!」となり、それが繰り返し現れるように、また日々鍛錬する。そこには、なぜその形が自分で実現できたのか自分なりに潜在的にも顕在的にも探求する姿があると思う。それを外から分析する他者も少なからずいる。昔から行われてきたこと。緩やかな理論っぽい枠組み化。
ただ、息子とは違って、一流のプロは実践者として同じ形を求めているように見える。同時に、そんなはずはない、同じ形を繰り返すなんてロボットじゃないだから、と考えだすと、その形を生む要因を整えているようにも思えてくる。形を飛び越えて、弾道とその弾道を生む道具への働きかけを俎上に載せて関連づけているようにも思えてくる。形から入って内部の感覚の流れを再現することを重視しているように感じる。要するに、ある形とそれをつくる要因を同調させようとしている、ぽい。なので私の目には、一瞬、結果的には実現できなくても同じ形の再現をひたすら求めているように映る。これが再現性の意味となる。道具の動きとしての形、そして身体動作としての形をできる限りに同じにしようと取り組む姿勢。その姿を私は、息子みたいなゴルフを始めたばかりのジュニアではなく、長年にわたって鍛錬され抜群の競技成績を上げているプロ中のプロに見出すことになる。
ゴルフの世界に入り、まずは形から入って、次にその形をつくりあげるものに関心が向かい、形は結果であってそれはさほど重要じゃないとなり、そして最終的にはそれと関連づけながら形に戻る。ゆえに、経験豊かな優れた指導者やトップオブザトップのプロは形にもこだわる、という感じか。初心者は形。超上級者は形も、いや形の方が、か。形づくる行為を通じて道具への働きかけをつかみ磨くとでも言いますか。形にこだわるのは他のジャンルでも見られるもの。その人にとっての同じ形の追求。もちろん、全く同じ形を再現するのは不可能なことは承知の上で。
今週はレンジでの球数が大幅に上回ってしまった息子。最近、パタ練の際に、入念にアドレスをチェックする。これも見た目上、再現性の対象か。パッティングの名手、金谷拓実プロが、仮に学生選手に「パットで一番大切なことを教えて下さい」と聞かれたとしたら、何と答えるだろう?、との記者からの問いかけに次のように答えておられる*1。
「上手な子だったら…やっぱりアドレスですかね。...パッティングだけじゃなく、ショットの時も毎回、同じように構えられるようにすることが大事。一生懸命やっているジュニアの選手は球数をたくさん打つと思うんですけど、知らないうちに構えが変わってしまうことがある。そうすると、いつの間にか距離感もちょっとずつズレて、(ギャップが)どんどん大きくなっていくことが多い」
ここでは、パッティングとショットの構えが再現性の対象となっている。"毎回、同じように構えられるようにすること"。量をこなしたとしてもそこに丁寧さがなければネガティブに効いてしまう。再現性の追求はジュニア時代から必要なのだろうか。原理原則を持ち出すと、道具の特性を理解することを起点に置いて理論という名のもとの考えの提出に進む人が多い印象がありますが、それはさておき、二重の意味での再現性を追求するとなると、身体と道具(特に重さと長さ)との関係性を身体の成長に応じて出来る限り維持していかないと、見た目上の形の再現性が崩れるどころか(注: 少しずつの変化なので、ある時点とある時点をその差に距離を設けて比較しないと気づかないという危うさ)、それを形づくるものの再現性が追求しづらくなるのではないかと。あくまでもジュニア期にどのような再現性をどこまで求めて練習するのか、を考えないとですけど。私的には、この時期、再現性よりも大事なものがあるような気がしてならない。
*1 桂川洋一, "パッティングもアドレスから 金谷拓実が説く基本「毎日ちゃんと丁寧に」," ゴルフダイジェスト・オンライン, 2026.1.22. ピンの計測機器とアプリ。リズムやヘッド軌道を確認するためとのこと。再現性。ヘッド軌道、 同じ形の追求。パッティングとショットは切り離して考えられないと思う。