2025.9.26
個としてのゴルフ
2025.9.26
個としてのゴルフ
(昨日今日と、芝の男が海に@逗子)
ここ2日間、親子ラウンドしていないので、違う話を。
顧問、部長を務めているゴルフ部。この秋、女子チームがCブロックで優勝し、Bブロックに昇格を果たしました。個人MVPを本部員が獲得。OBOGの皆さんからも沢山の祝福をいただいております。男子はDブロック残留。Cブロック昇格に向けて士気が高まっているようです。
女子は昨日開幕した「常陸宮杯 第4回全日本女子大学ゴルフ選手権競技」の関東地区大会に参加しています。場所は、静ヒルズカントリークラブ。ブロックが上位だとこういう貴重な機会が用意されている。この快挙は4年生引退後の部の活動に間違いなく良い影響をもたらすはず、男女ともに。
先月の夏合宿に息子を引き連れて顔を出した際に、もっと現場で出来ることが自分にもあるんじゃないかと考えたのですが、素人同然なので距離感が難しい。案は色々とあるけれど、現場監督ではないので裏方に徹するしかない。いや、そんなことないだろうと顧問就任前から思わせ続けているのが、こちらの本です。タイトルは『日大ゴルフ部最強伝説: 竹田監督流トップ・プロの育て方』(文庫本版)*1。
本書によると、竹田昭夫監督が就任する前の日大ゴルフ部は体育会に属しておらず "同好会" であった。当時、日大に奉職されていた竹田監督はまったくゴルフを "知らなかった"。ただゴルフ部監督の就任打診を先輩から受けたということで、断れず。その話を聞いた水泳部監督の村上勝芳さんがゴルフ指南役を買って出た。仕事が始まる前、"雨が降ろうと風が吹こうと"、朝5時から東京都民ゴルフ場や赤羽ゴルフクラブなどに行って猛特訓(おっ、どっちも息子とラウンドしたコースじゃないか!)。そして1962年、正式就任。
その水泳部の村上監督。オリンピックメダリストの橋爪四郎さんやオリンピアンの古橋廣之進さんを育てられた。ゴルフの技術だけでなく部全体の運営や個の育て方などラウンドを通じて教授いただいていたのは想像に難くない。猛特訓は監督就任後も続き、すぐにシングルプレーヤに手が届くところもまで腕が上がったそう(おっ、わたしの相手は息子だけど量的にはそんな変わらない気が...)。
就任後の試合で男子がBブロック最下位に。その時に、竹田監督が部員に語りかけたこと。
「まだある。おまえたちは、どう思っているかしらないが、おれは四、五年後には、日大ゴルフ部の名を全国に知らしめようと思っている。Aブロックが目標なんて、ちんけなことは考えるな。日本一に、かならずなるんだ。いいか、かならずなるんだぞ!(文庫版, p.81)」
そう伝えたあと、竹田監督自らバックを担いで、部員とともに2ラウンド半。スコアでは部員になかなか勝てないが、勝負へ執念の強さがそこにはある。監督は技術指導はしない。その4年後の1966年、日大ゴルフ部、初の全国制覇を成し遂げる。有言実行。
本書の最終章では、73歳になられた竹田監督の姿が描かれています。奥様のお言葉が紹介されています。
「夫は、ひたすらゴルフ部を強くするために、自分のすべてをさらけ出し、家庭を顧みずに情熱を燃やしてきました(文庫版, p.503)」
本書で出てくる "努力型タイプ" と "天才肌”。当たり前ですけど、錚々たる顔ぶれ。どちらのタイプでも名だたるプロたちがそこで時間を過ごし、さらに日本のゴルフ界を各方面から支える人たちを輩出してきた名門ゴルフ部。最後の最後に竹田監督の思いが記されています。
「ゴルフは、難しい。人間の筋肉の数は、みな違う。これがいい、という絶対的なアドバイスはない(文庫版, p.503)」
指導者としての極意がそこにあるような気がしてなりません。どうしても正解らしきものを求めてしまうゴルフ。
竹田監督を中心にして長い歳月をかけて重なり合っていく若者たち。本書を丁寧に読み返すと、直接的には書かれていないのですが、私には感じます。学生生活の4年間、個々人が過ごす時間を密にするためにゴルフ部が強くなければならない、との考えも竹田監督にはおありだったのではなかろうかと。就任当時、挨拶すらろくにできず士気がなかった学生たちに直面された。当初兼任されておられた応援部とはまるで違う。現場の学生はおそらく感じないのでしょうけど、おそらく部を強くするのが最終目標ではない。表向きには日本一と掲げているのでなおさら。詳しくは*1で。凄みを感じるのは、その大学4年間に加えて、卒業した後の長い時間、そこでの強固で広い繋がり。常に竹田監督がその中心におられる。
私がもう一度大学生に戻れるなら、どの大学でもゴルフ部に入りたい。強豪ならそこでしか得られない&仮にプロになったら現場で面倒を見てくれるであろうOBOG繋がりができる*2。練習ラウンドをともにするとか、合宿するとか。一方、強豪ではないのなら、歴史を作ることができるかもしれないし、強豪校同様、社会に出た後、多くの繋がりが自分を後押ししてくれるはず。プロになったとしたら強豪校のような現場での直接的なサポートはあまり得られなくても、それ以外の側面からバックアップしてくれる先輩がおそらくいる。
後者の場合、歴史を作りたいと思っている情熱ある監督がいらっしゃったら、私なら士気が極限まで高まるだろう。竹田昭夫さんのようなお方が監督だったら。
*1 大下英治(2001), 『日大ゴルフ部最強伝説: 竹田監督流トップ・プロの育て方』, 学習研究社(1992年刊行の『ゴルフ巌流島: 実録日大ゴルフ部監督』双葉社の加筆版)。教壇にも立つ身として、竹田監督のお言葉からひとつ紹介。「とくに四年に関係することだが、学業をまっとうしろ。おまえたちは、日大に進学したんだ。ゴルフ部に進学したわけじゃない。卒業するのが、当たり前だろう。中途半端なことは辞めろ(文庫版, p.453)」。「己に勝つか負けるかのちがい」を強調する竹田監督。
*2 “Vol 004 ゴルフ部: 和田光司チームワークと競争で強さをつくる,” SPORTS NIHON UNIVERSITY, 2018.8.20. 現監督の和田光司さんによると、竹田監督は「部内で個人間の競争を引き出すのが上手かった」。和田監督の夢は「選手を海外へゴルフ留学させること。…アメリカやオーストラリアの提携大学に、うちの選手が1・2年行って、向こうの試合に日大の看板を背負って出られたらいい。そのためにはまず語学なので、選手たちには語学を一生懸命勉強しなさいと言っている」。大学の名を知らしめる過程で個も育つ。否、個が育つ過程で大学の名が知れわたる、結果的に。プロゴルファーとして世界のトップオブザトップを目指す部員と、それとは違うところに目的を置く部員とが共存しているところにも凄みを感じる。良し悪しではなく日本とアメリカではゴルフ部の環境は違うが、今も昔も米国男子PGAツアーのトップ層で大学ゴルフ部出身が極めて多いのは、プロとして戦える身体作り以上に、チーム、組織として動く何らかの強みがあるのだろう。