2025.7.16
ゴルフにおける胆力
2025.7.16
ゴルフにおける胆力
(何時間でもいれそう)
息子が今年5月のUSkids European Championship@スコットランドで戦ったインドのジュニアさんが、開催中のFCG Callaway World Championshipでホールインワンを達成。FCG International Championship優勝、世界ジュニア2位に引き続き、お祝いのメッセージを送りました。こうした世界中のジュニアさんと繋がれるのが海外の試合に出て得られるメリットのひとつ。自分が小さい時には考えられなかった。
試合中に何が起きても動じないそのジュニアさんの姿勢に息子は大きな影響を受けました。その後、帰国してからのラウンドでは、気が散るような姿を1ミリも見せておりません。昨日のラウンドでも、途中、かなりの土砂降りでしたが何もなかったかのようにショット、パッティングを続けていた。横で管理人さんが凝視していても動じず。今日の千葉市民ゴルフ場でのラウンドも、悪天候のなか、淡々と。父が横でイライラ、爆発しても、軽く受け流すか、無視。まったく動じていない、自然環境と同組の相手(父)に対して。そして自分の球が散っても。
反復練習を極端に減らしたこの2週間。やはり球がいつも以上に散っているように感じます。反復しないと目先のショットは安定しないかも。それをどう考えるのか。目先だけじゃなく、先を見据えて考えても反復は必須だとして、ランダム練習とのバランスをどうするか、改めて熟考中。ひつこいですが、ジュニア後期あるいはジュニアを卒業する頃に、これまでのように振れない、パッティングできない、ラウンドできない、という症状が、イップスとまでかなくても伸び悩む原因のひとつで、それを生むのが反復練習に潜む何らかの要素にもあるから。
学校のゴルフイベントや親子ラウンドで何度も訪れている千葉市民ゴルフ場を監修した片山晋呉プロ。プロの練習を参考に繰り返し動作はしており、ランダム練習だけではありません。地味練を含めるといいバランスなのかもしれないけれど、レンジに行かないと心配ではあります。そこは負担のかからないように素振りを多めに?
一昨日の投稿で松山英樹プロの幼少期の練習風景について触れました。今日はその続き。12年前の『週刊文春』に、松山英樹プロがまだ大学生で当時東北福祉大学の監督、阿部靖彦さんへの取材を中心とした記事が掲載されています*1。松山プロの幼なじみが語るところによると(さすが週刊誌の取材力)、
「…ひーくん(注: 松山英樹プロ)の家ではお父さんが作ったパターのできる部屋で一緒に遊びました。玄関に入ると、目の前の廊下からその部屋にかけてグリーンに見立てた緑の絨毯が敷かれていて、室内でパターゴルフができるようになっていた。野球も大好きでテレビ中継をよく見ていたし、外で遊ぶときはキャッチボールが多かった。お父さんのゴルフ指導は厳しかったようで、パイプを二本組み合わせて頭を固定し、頭を動かさずに腕を振る練習をしていたのを覚えています(pp.169-170)」
前回紹介したYouTubeの動画に一瞬出てくる、あの部屋。やはりパイプを購入すべきなのか。頭を固定。良いトレーニングにもなりそう。反復練習。続いて、近所の住民の話。さすが週刊文春。
「…家の庭にはネットが張ってあり、小学生とは思えないほどのすごい素振りをしてましたよ。近くのゴルフ練習場にはお母さんがいつも送り迎えをしていました(p.170)」
素振り。おそらく球を打つ弊害もある。ママにも送迎してもらおうかな。分業。ちなみに本号で伊集院静さんが読者(高校生)の質問に対してお答えになったところ。
「純粋な学力? そんなもんがあるか。学力なんかどうでもいいから、体力と胆力をつけなさい(p.73)」。
胆力。コースですぐに父はキレる。父には胆力がない。息子を見習おうと思います。そしてその大事なものに気づかせてくれたインドのジュニアさんに感謝。最終日、日本のジュニアさんと一緒に爆発的なスコアを出してほしい。
*1 「松山英樹 恩師が明かす「驚異のメンタル」 : CM・テレビ出演は封印」, 『週刊文春』2013年8月15日・22日夏の特大号, pp.169-171. 次のくだりは有名な話かと思います。本記事で再引用されていて示唆に富むと思うので紹介すると、松山英樹プロと一緒にラウンドしたTiger Woodsプロの話。「彼はたくさんの可能性を持っている。何かをつかむのは時間の問題だね(p.171)」。 "何かをつかむ" という説明には2つの意味が込められていそうで(私の勝手な解釈)、チャンス・優勝を掴む、という文字通りの意味と、さらに上へといくための技術的な要素・感覚?を掴む、という意味。Tiger Woodsプロにしか見えない、感じ取れない最上位の技術や感覚があるのではと感じる。
(紙の薫りに長い歳月を感じる)