2024.12.22
ゴルフ部における『「闘争」としてのサービス』*1
2024.12.22
ゴルフ部における『「闘争」としてのサービス』*1
(待ち時間、駐車場にて)
今日は年内最後のジュニアレッスン@ゴルフ場でした。高校生のお兄さんが1ヶ月弱ぶりに参加されていて息子も喜んでおりました。レッスンは日曜開催なので、試合やKGAのイベントと重なってしまうことが多いのかと。
かなり少なく見積もって私の目線、その9割強はお兄さん。ゴルフ場でのレッスンが始まった今年3月から2ヶ月間ほどは「こっち見てよ!」と怒られることも多かった。でも徐々に息子もお兄さんの姿をチラ見する回数が右肩上がりで増え、夏頃からはイライラがなくなりました。まぁ、そっちみちゃうよね、という感じで。あまりにも息子を見ないので怒られる時もありますけど。
朝からパッティング&アプローチ&ショットをしてから早めのお昼ご飯、そしてパッティング&ショットしてからラウンド。ラウンドは基本、私が帯同しないので、かなりの時間待つことになります。クラブハウスにはソファーもあるし、窓際の椅子に腰掛けてコーヒーを飲みながら優雅に、とも過ごせるのですが、メンバーではないので、ここにいちゃいけないだろうと感じて自然と足が外に向かいます。今日のように晴れた日には近くのガソリンスタンドで洗車。入念に水滴を拭き取って(おそらくヒンジのところにすら水滴なし)、車内をピカピカにしても(おそらく芝一本すら落ちていない)、時間がまだまだある。コンビニでコーヒーとスナックを買ってクルマでパソコンをカチカチ、狭い車内で首が疲れ… 外を見て物思いに耽って、インスタでジュニアゴルファーさんの休日に触れ、目を休めて... ホールアウトの時間がようやく訪れる。ピカピカに磨き上げたクルマから出てグリーンへと向かう。先生から講評を頂戴し(あんなに昨日アプローチ練習場でチッピングしまくったのに大ダフリ)、ピカピカすぎて新車と見違えそうな走行距離8万キロ越えのセダンに息子を乗せて、運転。「最後のパッティングが良かった」と前向きな息子。ドライブと認識した方が充実感ありか。
お兄さんやお父様から教えてもらいたいことが山ほどあるのですが、邪魔をしてそうな感じがして声をかけることができません。唯一、お昼の時に先生が席を立たれてからお兄さんに質問するくらい。今後、大学ゴルフ部の運営に深く関わっていくので、世代を代表する高校生が大学のゴルフ部をどう見ているのか、どんな期待を寄せているかを聞くことは私にとってとんでもなく貴重です。当然のことながら、ひたすら無口でご飯を食べる息子は蚊帳の外。もっと聞きたいことがありますが、食後の席で聞くということはその後の練習時間を奪ってしまうこととイコール。そこは2、3分以内と肝に銘じて接しております。
以下、個人的に感じたことです。トップ中のトップのゴルファーに対しては、技量向上のための直接的な環境づくりはもちろん大事。それ以上に、ゴルフ以外の面で感じるストレスを無に近づけていくことが大切なのかなと。部員同士で切磋琢磨して団体戦にも出る。加えて、卒業生を含めた縦の繋がり。ゴルフ部でしかできないこと。とにかくのびのびと、ゴルフ以外の面で精神的に負荷がかからないように。でもこれって大学からゴルフを始める部員も同じかなと思ったり。入部の段階で過去の実績に基づいてセレクションせず、初心者と超トップレベルの部員が共存しているのがゴルフ部として理想ではないかなと。
技量向上のための居心地の良い空間。大学生はもう十分大人、学生はお客さんでもある。特に大学入学に至るまでゴルフをしてきたご子息・ご息女の親御さんや身近な人。長い年月そのサポートしてきたお姿とお気持ちに対して理解度が高いと思われる私。まだ日が浅いですが私自身ゴルファーとして、またジュニアゴルファーの親として動いておりますから。
サービスの送り手と受け手。お金をいただいている身だからといって受け手を満足させる送り手という役割に閉じずに、ぬくもりある関係を築きたい。“受け手の客”と “送り手の提供者”とが緊張感をもつ。送り手。それは大学のゴルフ部を運営するサービス提供者としての私。そして本日はレッスンを受ける息子&親として学びを享受する客としての私。受け手として一流のサービスに接すると、送り手としての自分の力量のなさが露呈します。フロントガラスの前に映し出された紅葉を眺めながら、そんなことが思い浮んだ夕刻でした。
*1 山内裕(2015)、『「闘争」としてのサービス:顧客インタラクションの研究』、中央経済社。 カウンター越しに交わされる鮨屋での対話。見極め。あまり褒められたことではないですが私なりに飛躍すると、サービスの本質はここにあり。客に寄り添いながらも客の求めているものを裏切り、自分が提供したいものを追求して渡すこと。